2021年3月11日 東日本大震災から10年
死者・行方不明者、関連死を含め22,192人が犠牲になった東日本大震災から10年。テレビや新聞では、「あの日から今日まで」を一斉に特集しています。
私はあの日、こんなことを日記に記していました。
2011年3月11日(金)
東日本大震災!! 午後2時46分頃 珈琲焙煎実習中に激しい揺れ。M8.8(のちに9.0に訂正)。震源地、宮城県三陸沖。帰宅難民大量発生。幸運にもバッハ近くのホテル取れ宿泊。余震でほとんど眠れず。
「陽のあたる道」の開店1年前、バッハ・トレーニングセンターでの焙煎修行を本格的に開始。3日間の研修の初日でした。大きな揺れが起こったとき、ちょうど焙煎の最中だったので、あわてて焙煎機の火を消したことを覚えています。
バッハのある南千住は、もとは山谷と呼ばれていた地区で、日雇い労働者などが泊まる安い宿がたくさん並んでいます。初日の研修が途中で打ち切りになり、南千住の駅へ向かったものの、すでに電車は動いていなかったので、駅近くのホテルを何軒か回り、運よく部屋をとることができました。夜中たびたびの余震で、寝た気がしなかったのは日記にあるとおりです。
横浜の自宅に一人で居た妻とは、携帯メールで連絡がとれていたと思うのですが、はっきり覚えていません。その頃始めていたTwitterが情報収集に役に立ちました。
翌12日(土)の朝、カフェ・バッハに顔を出したら、おにぎりと豚汁を用意してくれていて本当にありがたかったです。2日目の研修は、来れなくなった人もいて数人で焙煎練習を行い、動いていた電車で夕方家に帰ることができました。東京電力福島第一原子力発電所1号機の水素爆発は、この日の15時36分に起こっています。
翌13日(日)も9時半から18時までバッハ・トレーニングセンターで焙煎練習を行い、3日間の研修を終えました。
翌日からは計画停電が開始。鉄道が大混乱になったり、スーパー、コンビニでは物の買い漁りが起こったりしたことも、日記に書かれていました。
今月4日に9周年を迎えた「陽のあたる道」につながる、はじめの一歩を踏み出した日に起こった東日本大震災から10年目の今日、あらためて「あの日」を思い起こしてみました。